雨と硝子

同棲中。雨の日にゆるく静かに過ごす二人。バズツイに共感して書きました。



 始めはぱらぱらと窓を打つだけだった雨粒は次第に大きくなり、燎が一曲弾き終える頃には叩きつけるような雨足に変わっていた。白い薄手のカーテン越しでもガラスが灰色に曇っているのが見て取れる。
 雨は決して嫌いではない。こういう日だから弾きたい音楽や浸りたい本がある。いつも同じ生活の中で新しい物を生みだすのは難しい。変化の中に身を置いてこそ得られるものがある。
 と日頃は考えているのだが、こうも目の前でノイズを流され続けては集中を維持するのが難しい。己を鍛えるために敢えて弾き続けるのも一つの手だ。しかしどうにも気が乗らない。除湿モードで運転を始めたばかりのリビングはまだ快適には遠い。さほど暑くはないのに、肺が重く息苦しい。五感の自由が奪われるようだった。
 鼓膜を直接打たれる感覚に顔をしかめる。電子ピアノのヘッドホン端子が一瞬だけ目に入ったが反射的にすぐに目を閉じてしまった。
「ソワレ、いいよな」
「ああ。ソワレという雨ではなくなったが」
 カランカランと透き通る音を鳴らしながら翔琉が近付いてくる。ここで飲むか? とたずねる翔琉に燎は首を振って黒い椅子から離れた。
「ソファにしよう」
「ん」
 こんこんとグラスの並ぶ音を背に本棚の前で思案する。普段なら割と素早く手が出るのに、何度書棚に視線を往復させても全くピンとこない。燎は腕を組んで右手を顎にあてた。
「リョウ、どした」
「……読みたい本が思い浮かばない」
「めずらしーな」
「……いっそトモに選んでもらうか」
「えっ、俺!? リョウの本なんて雑誌以外ほとんどわかんないのに?」
「ああ、構わない。トモが読んでみたいものでも」
「読みたいのとか……無茶言うなよ」
 翔琉はずらりと並ぶ厚い背表紙を前に頭をかいて片手を腰にあてた。燎はその肩にぽんと手を置き、
「最悪読めなくてもいい。内容なら大体覚えているから俺が話をしよう」
 と応えてソファに腰を下ろした。背もたれに深く身体を預けると、先ほどより幾らかノイズが遠のいた気がする。
 燎が目を閉じて何度めかの深呼吸を終えた頃、やっと翔琉は戻ってきた。
「とりあえずこれで」
 テーブルに積まれたのは『芳香と記憶の科学』『欠けた殺意』『彼はなぜ思考と感覚の天秤を破壊したのか』の三冊。どれも数年前に読了して以来眠っていたものだった。懐かしさに思わず身を起こす。
「懐かしいな」
「内容覚えてるか?」
「恐らくは」
 燎は手に取ってそれぞれの目次に目を走らせ頷く。
「じゃあそれで」
 翔琉はのんびりと燎の右隣にやってきて同じように腰かけ、緩慢にグラスを取る。燎も一度本を脇に置いてアイスコーヒーを静かに傾けた。
 グラスをコースターに戻すと翔琉が身じろぎをした。ソファの上で体操座りをし、ぴったりと体を寄せて頭を肩にのせてくる。燎は姿勢をそのままに右の側頭部で翔琉の横髪をそっと撫でた。
「最初はどれがいい」
「リョウが好きなので」