忘れるほどに君が

ばったり会った二人。



 雑踏を抜け出て自動ドアに辿り着くと、冷え冷えとした紙の匂いが翔琉を包んだ。読書の趣味は持たないが、いつ訪れてもこの大型書店は喧騒とは無縁で、別世界を思わせる。翔琉は安寧の中に密かな高揚を覚えながら足を踏み入れた。
 入口を囲む新刊話題書コーナーを通り過ぎ、まっすぐに雑誌コーナーへ向かう。数ヶ月前の記憶とジャンル表示のプレートを頼りに整然と並ぶ陳列棚の脇を進んでいくと、程なくして目当ての場所に辿り着いた。
 しかし、そこに居た思わぬ先客に翔琉の足は止まってしまった。

 ページをめくる長い指。所作に合わせてさらさらと流れる黒髪、活字を追う伏した目元、その印象を際立たせるホクロ、すっと通った鼻筋。挙げればきりがない彼の長所はどれも精緻で、怜悧で、翔琉が持ち合わせていない物ばかりだ。
 恋人になってもなお、翔琉は決してそれらを手に入れた気がしなかった。今や最も近くにあるのに、それはいつまでも手の届かない遠い所にあって、触れたいような触れたくないような、不思議な気持ちになる。これが憧れという物なのかもしれない。

「で、いつまでそうやって見ているつもりだ」
 我に帰ると、本人が顔をしかめてこちらをじっと見据えていた。
「あー……やっぱバレてた?」
 咄嗟に目を逸らすが、その程度では燎相手には何のごまかしにもならないことを翔琉は知っている。
「バレバレだ」
「ごめん! つい見惚れてた。いいだろ?減るもんじゃなし」
 翔琉は顔の前で両手を合わせ素直に謝罪するも、
「確かに減る物ではないが……公衆の面前でそういうことを口にするのは如何な物かと思うぞ? それに、ストーカー紛いの行為をすればお前の社会的信用は減る」
 燎の反応はあくまで手厳しい。
「いったいとこ突くなあ!」
「トモのためを思って言ってるんだ」
「へいへい」
「返事ははいだ」
「はーい」
「それで、今日は何を買うつもりだったんだ?」
 不毛なやり取りはこれで終わりだという合図に、ページを閉じて燎は訊ねる。
「あ、……っと……ごめん、忘れた!」
「はあ……大方これだろう?」
 燎は陳列棚に向き直り、自分の手にある物と同じ今日発売の音楽雑誌を引き抜いて燎に手渡した。
「さっすがリョウさん、分かってる!」
「俺がここに居合わせなかったらどうするつもりだったんだ?」
 呆れ半分の表情で首を傾げる燎に、翔琉は一瞬迷ってから首を振り、笑みを返した。
「その時は……いや、大丈夫。リョウがいない時はちゃんと覚えてるから」