夕焼けは晴れ

下校中。自分に鈍感な燎。相手のことばかり見えているのは、それだけ常に見ているから。




「俺、夕焼けが好きなんだよ。『朝焼けは雨、夕焼けは晴れ』って言うだろ? だからこういう空を見ると、明日晴れるのかな、楽しみだなー! ってなるんだ」
 先を歩いていた翔琉がくるりと振り返って笑う。茶色い髪にまばゆい夕陽が差して、とがった毛先がオレンジ色に光る。
「なあリョウ、夕焼けのあとに晴れるってほんとのところどうなんだ?」
「科学的根拠はあると言われている。特に春と秋は、高気圧と低気圧が交互にやってくるから、そのことわざの通りになりやすいそうだ」
「へえ」
 何気ない疑問を口にした翔琉に、燎は答える。中学生の頃に読んだ本の受け売りだ。
「雲が少ないオレンジ色だと概ね晴れ。毒々しい赤の場合は雨の可能性があるらしい」
「じゃあ明日は晴れか!」
 翔琉は笑い、再びくるんと体を回転させた。かかとを軸にして、ダンサーのように。実際のところ、翔琉がダンスを習っていた話は聞いていない。なのでその軽やかさはサッカー仕込みなのだろう。絵に描いたような夕焼けが翔琉の横顔をオレンジ色に照らす。
 翔琉はそのまま燎に背を向け、夕日に向かって歩き出した。
「恐らく」
 燎は空に踊るスキャットに返事をする。そのメロディはご機嫌そのもので、燎の言葉を疑いもしない。

「リョウは色んなこと知ってるよな。その話、本で読んだのか?」
「ああ。『十三歳からの気象学』という本で」
 翔琉の隣に追いつき、燎は答える。すると、オレンジ色の横顔が一気に曇った。
「……そんな気はしてたけど、一個聞いていいか?」
 燎が頷くと、翔琉は思いもよらないことを口にした。
「何でそういう本を読みたくなるんだ? あー、えっと。リョウを否定するつもりはないんだ。何ていうか……俺からするとすっごい難しそうな本だから、リョウが読みたくなる理由を知りたいなと思って」
「理由、か。あまり深く考えたことはなかったな。調べものとかで、目的があって本を選ぶことはある。ただその気象学の本は確か……図書館で何となく気になって手に取ったような記憶があるな」
「何となくって理由で気象学の本を読むってことか?」
「そうだな」
 翔琉は、しばらくぽかんと口を開けたまま燎を見つめていた。そのまま歩き続けているのだから器用なものだ、と思う。
「リョウって、やっぱすごいな!」
 その顔が、得意げな笑顔に変わる。今度は燎が顔を曇らせる番だった。
「そう……か?」
 今まで、本の選び方がすごいと褒められたことはなかったような気がする。難しい本を読むんだねと言われることはあっても、それだけだ。特に今のクラスに入ってからは、自分より難解な本を読んでいる人間はごろごろいる。
 燎にとって読書は当たり前のことで、褒められるようなものではない。図書館に行けば、本来用がない部門でも書棚を眺めてしまう。常に漠然とした「知りたい」が無意識のうちに潜んでいるのかもしれない。

 なのに、なぜか翔琉は自信満々に声を張った。
「そうだぞ! リョウはもっと、自分のすごさに気づいた方がいいんじゃないか? 何で俺のほうがリョウのいいところたくさん知ってんだよ」
 自分たちは同じ世界に生きているのに、どうして見えているものがこんなにも違うのだろう。
 胸の奥に強い光が射し込む。直射日光を浴びているのは額のはずなのに。額に手を当てても胸のほうが熱を持っている。
「トモ」
「ん?」
「トモの方がすごいよ」
 燎は立ち止まった。住宅街の切れ目から、まばゆい夕日が一直線に目を射る。額に当てた手を日よけにしても、目を開けていられないくらいだ。周りに誰もいないか確認する余裕もない。
 見当をつけて顔を寄せる。翔琉の頭で一瞬景色が陰に落ちる。幸い、視界の両端はどちらも無人だった。胸を撫でおろし、柔らかい感触に唇を合わせる。
 あの本を手に取った頃は、こうして翔琉の驚く顔を見て満足する日が来るなど、思いもしなかった。